妻の祈り・・・2013-01-27 Sun 01:53
しばらく前、ツイッターのタイムラインに流れてた。
ふと気になってみてみた。…妻の祈り… 和訳されていた。 このストーリーは本当か、そうでないかは不明らしい。 でも、悲しい中にも感動がある!と思う。きっと・・・。 長いですが、是非読んで下さい。コピペ先は ここ です! ↓ では、どうぞm(_ _)m When I got home that night as my wife served dinner, I held her hand and said, I’ve got something to tell you. She sat down and ate quietly. Again I observed the hurt in her eyes. 仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をととのえていた。 僕は彼女の手をにぎり「話があるんだ」と切り出した。 妻は何も言わず席についた。その目は苦痛に満ちていた。 Suddenly I didn’t know how to open my mouth. But I had to let her know what I was thinking. I want a divorce. I raised the topic calmly. She didn’t seem to be annoyed by my words, instead she asked me softly, why? ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。 でも言わなければならない。「離婚したいんだ」と。 僕は冷静に、その言葉を口にした。 妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。「どうして?」 I avoided her question. This made her angry. She threw away the chopsticks and shouted at me, you are not a man! That night, we didn’t talk to each other. She was weeping. I knew she wanted to find out what had happened to our marriage. But I could hardly give her a satisfactory answer; she had lost my heart to Jane. I didn’t love her anymore. I just pitied her! その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。 彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。「あんたなんか、男じゃない!!」 その夜、その口論のあと 僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。 妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。 わかっている。どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。 でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。 それもそのはず。僕は「ジェーン」という他の女性を愛してしまったのだ。 妻のことは、、、もう愛していなかった。 ただ哀れんでいただけだったのだ! With a deep sense of guilt, I drafted a divorce agreement which stated that she could own our house, our car, and 30% stake of my company. She glanced at it and then tore it into pieces. The woman who had spent ten years of her life with me had become a stranger. I felt sorry for her wasted time, resources and energy but I could not take back what I had said for I loved Jane so dearly. Finally she cried loudly in front of me, which was what I had expected to see. To me her cry was actually a kind of release. The idea of divorce which had obsessed me for several weeks seemed to be firmer and clearer now. 深い罪悪難に苛まれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。 その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。 彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。 僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は 僕にとってもはや「見知らぬだれか」に成り下がっていた。 彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、、、本当に申し訳ないと思っている。 でも 自分が「ジェーン」を愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。 承諾書を破り捨てたあと、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。 ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て少しホッとしたのだ。 これで離婚は確定だ。 この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、 これでとうとう現実化したのだ。 The next day, I came back home very late and found her writing something at the table. I didn’t have supper but went straight to sleep and fell asleep very fast because I was tired after an eventful day with Jane. When I woke up, she was still there at the table writing. I just did not care so I turned over and was asleep again. その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。 家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた。 夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。 深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。 僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。 In the morning she presented her divorce conditions: she didn’t want anything from me, but needed a month’s notice before the divorce. She requested that in that one month we both struggle to live as normal a life as possible. Her reasons were simple: our son had his exams in a month’s time and she didn’t want to disrupt him with our broken marriage. 朝になって、妻は僕に「離婚の条件」とつきつけてきた。 彼女は家も車も株も、何も欲しくないと言った。 でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」が欲しいと言ってきた。 そして彼女の条件は、その1ヶ月のあいだ出来るだけ「今までどおり」の生活をすること。 その理由は明確だった。 僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているため できるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。 This was agreeable to me. But she had something more, she asked me to recall how I had carried her into out bridal room on our wedding day. She requested that every day for the month’s duration I carry her out of our bedroom to the front door ever morning. I thought she was going crazy. Just to make our last days together bearable I accepted her odd request. それに関しては、僕は即座に納得した。 だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。 「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて寝室に入った日のことを思い出してほしい」と。 そして、これからの一ヶ月のあいだ、あの時と同じようにして 毎朝、彼女が仕事へ行くときに 彼女を腕に抱き上げて 寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。 僕は「とうとうおかしくなったな・・・」と思った。 でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。 I told Jane about my wife’s divorce conditions. . She laughed loudly and thought it was absurd. No matter what tricks she applies, she has to face the divorce, she said scornfully. 僕は「ジェーン」にこのことを話した。 ジェーンはお腹を抱えて笑い、「ばかじゃないの」と言った。 今さら何をどうジタバタしたって離婚はまぬがれないのにと ジェーンは嘲るように笑った。 My wife and I hadn’t had any body contact since my divorce intention was explicitly expressed. So when I carried her out on the first day, we both appeared clumsy. Our son clapped behind us, daddy is holding mommy in his arms. His words brought me a sense of pain. From the bedroom to the sitting room, then to the door, I walked over ten meters with her in my arms. She closed her eyes and said softly; don’t tell our son about the divorce. I nodded, feeling somewhat upset. I put her down outside the door. She went to wait for the bus to work. I drove alone to the office. 僕が「離婚」を切り出して以来 僕ら夫婦はまったくスキンシップをとっていなかった。 なので 彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目 僕らは二人ともなんともヘンな感じで、ぎこちなかった。 それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。 「ダディーがマミーを抱っこして『いってらっしゃい』するよ!」 その言葉を聞くなり、僕の胸はきりきりと痛んだ。 寝室からリビングへ、そして玄関口へと 僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。 妻は目を閉じたまま、そっと「どうかあの子には離婚のことは言わないで」と耳元でささやいた。 僕は黙ってうなずいた。でもなぜか、そうしながら 心はひどく動揺していた。 妻をドアの外に静かにおろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。 僕もいつもどおり車に乗り込み仕事へ向かった。 On the second day, both of us acted much more easily. She leaned on my chest. I could smell the fragrance of her blouse. I realized that I hadn’t looked at this woman carefully for a long time. I realized she was not young any more. There were fine wrinkles on her face, her hair was graying! Our marriage had taken its toll on her. For a minute I wondered what I had done to her. 2日目の朝 初日よりは少しは慣れた感があった。 抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。 僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。 そして思った。 こうして彼女をこんな近くできちんと見たのは、最後いつだっただろうかと。。。 妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。 その顔には細かなシワが刻まれ 髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている! 結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に。。。 その一瞬、僕は自問した。「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。 On the fourth day, when I lifted her up, I felt a sense of intimacy returning. This was the woman who had given ten years of her life to me. On the fifth and sixth day, I realized that our sense of intimacy was growing again. I didn’t tell Jane about this. It became easier to carry her as the month slipped by. Perhaps the everyday workout made me stronger. 4日目の朝 彼女を抱き上げたとき、ふと かつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。 この人は この女性は 僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。 5日目、そして6日目の朝 その感覚はさらに強くなった。 このことを、僕は「ジェーン」には言わなかった。 日にちが経つにつれ 妻を抱き上げることが日に日にラクになってゆくのを感じた。 なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろうと 僕は単純にそう考えていた。 She was choosing what to wear one morning. She tried on quite a few dresses but could not find a suitable one. Then she sighed, all my dresses have grown bigger. I suddenly realized that she had grown so thin, that was the reason why I could carry her more easily. ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。 鏡のまえで何着も何着も試着して それでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。 そして彼女は「はあ〜っ」とため息をついた。 「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって。。。」 その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。妻はいつの間にやせ細っていたのだ! 妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく 彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ! Suddenly it hit me… she had buried so much pain and bitterness in her heart. Subconsciously I reached out and touched her head. 愕然とした。 それほどまで、やせ細ってしまうまで 彼女は痛みと苦痛を胸のなかに。。。 僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。 Our son came in at the moment and said, Dad, it’s time to carry mom out. To him, seeing his father carrying his mother out had become an essential part of his life. My wife gestured to our son to come closer and hugged him tightly. I turned my face away because I was afraid I might change my mind at this last minute. I then held her in my arms, walking from the bedroom, through the sitting room, to the hallway. Her hand surrounded my neck softly and naturally. I held her body tightly; it was just like our wedding day. そこに息子がやってきた。 「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」 息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることが すでに大切な日常の一場面となっているようだった。 妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと 彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。 僕は思わず目をそらした。 そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ! 僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ 寝室から、リビング、そして玄関口へと 彼女を運んだ。 妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。 そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。 そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。 彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら 僕は例えようのない悲しみを覚えていた。 But her much lighter weight made me sad. On the last day, when I held her in my arms I could hardly move a step. Our son had gone to school. I held her tightly and said, I hadn’t noticed that our life lacked intimacy. I drove to office…. jumped out of the car swiftly without locking the door. I was afraid any delay would make me change my mind…I walked upstairs. Jane opened the door and I said to her, Sorry, Jane, I do not want the divorce anymore. そして最後の朝、 妻を抱き上げたとき 僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。 その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。 僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。 「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」 そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。 何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で 自分の決心が揺らいでしまうのが怖くて それを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出し オフィスのある上の階まで駆け上がっていった。 気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。早く「ジェーン」のもとへ! ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。 彼女を見た瞬間、 僕は思わず口にしていた。 「ジェーン、すまない。 僕は離婚はできない。」 She looked at me, astonished, and then touched my forehead. Do you have a fever? She said. I moved her hand off my head. Sorry, Jane, I said, I won’t divorce. My marriage life was boring probably because she and I didn’t value the details of our lives, not because we didn’t love each other anymore. Now I realize that since I carried her into my home on our wedding day I am supposed to hold her until death do us apart. Jane seemed to suddenly wake up. She gave me a loud slap and then slammed the door and burst into tears. I walked downstairs and drove away. At the floral shop on the way, I ordered a bouquet of flowers for my wife. The salesgirl asked me what to write on the card. I smiled and wrote, I’ll carry you out every morning until death do us apart. 「ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめ そして額に手をあてた。「あなた、熱でもあるの?」 僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。 「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」 「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく 僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を 大切にしてこなかったからなんだ。 今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日 僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように 僕は死が二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」 「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。 そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉め ワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。 僕はそのまま黙って階下に降りた。 見ると、花屋が目にとまった。 僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。 店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。 僕はふと微笑んで、言った。 「そうだね、こう書いてくれ。」 『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人を分つ、その日まで...』 That evening I arrived home, flowers in my hands, a smile on my face, I run up stairs, only to find my wife in the bed -dead. My wife had been fighting CANCER for months and I was so busy with Jane to even notice. She knew that she would die soon and she wanted to save me from the whatever negative reaction from our son, in case we push through with the divorce.— At least, in the eyes of our son—- I’m a loving husband…. その日の夕方、僕は 妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて 家についた。 はやる気持ちで階段を駆け上がる! 早く早く!妻のもとへ! 出迎えてくれた妻は ベッドで冷たくなっていた。。。。 何も知らなかった。 僕は、何も知らなかったのだ。 妻が「ガン」であったことさえも。 ジェーンとの情事にうつつをぬかしていた僕は、 妻が この数ヶ月必死で病魔と戦っていたことに 気付きさえしなかったのだ! 妻は分かっていたのだ。自分がもうじき死ぬことを。 彼女が出してきた「離婚の条件」は 僕を責めるものではなく、僕を救うためのものだったのだ! 自分亡き後、最愛の息子から 僕が責められることがないように。 毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。 そう、そういう僕を毎朝見ていた息子にとって 僕はまぎれもなく 「お母さんに離婚をつきつけたお父さん」ではなく 「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ! The small details of your lives are what really matter in a relationship. It is not the mansion, the car, property, the money in the bank. These create an environment conducive for happiness but cannot give happiness in themselves. 僕はどうしても皆さんにお伝えしたかった。 日々のささやかな幸せ、、、それが人生で何よりも大切であるということを。 幸せは 大きな家、土地、高価な車、または銀行の残高、、、 そんなものの中にあるのではないということを。 So find time to be your spouse’s friend and do those little things for each other that build intimacy. Do have a real happy marriage! もしも今、あなたの傍らにかけがえのない伴侶がいるのなら 毎日がどんなに忙しくても どうか、相手が大切だと伝える小さなジェスチャーを 心を通わせる時間を 大切にしていっていただきたいと思います。 スポンサーサイト
|
食は命・・・2013-01-23 Wed 02:35
|
遺伝子組み換え作物・・・2013-01-22 Tue 02:16
以前から観たいと思っていた、映画「モンサントの不自然な食べもの」。
先日、「おだやかな日常」を観に行ったとき、館外にポスターが貼って あって、12~25日まで上映するとのこと。 んで、友達を誘ったら 行こか!となって今日観にいってきます。 その友達は、十代からの仲良しで、今は大規模なハウスで年中トマトを 栽培しています ![]() 「世界の食料支配、それはどんな爆弾より脅威である・・・」と作中で 語られる、モンサントの本当の狙いは?! どんなことでも、無知では駄目ですよね…。世の中、知らないことの方が 多いのは否めませんが…。あっ TPPも許してはいけない!後悔しない為に。 ※公式サイトは ここ です。 ※「食」、ひいては「いのち」をめぐる グローバル企業の実態を描いたドキュメンタリー! |
そっと『Gerbera』を・・・2013-01-21 Mon 02:45
子供に好きな花を選ばせ、一輪、二輪のガーベラをそっと入れて
妻と母の元へ。子供の大好きなお菓子も沢山持って、誰もいない 墓前に。天候にも恵まれて、大自然の中 お経が響き みんな合掌。 それぞれが、それぞれの大事な想いを伝え、また来るからねって、 4人でバイバイしたよ。どこかで成長した子供を見てくれてたかなぁ? 帰り、老人ホームにいる親父のとこで散髪してあげて、綺麗に丸坊主。 そして、服やら本やらいっぱい買い物して、晩飯を食って帰りました。 無事故で、あったかい、充実した一日でしたヽ(^o^)丿 …疲れたけど ![]() ![]() ※中央のピンクの花が大好きな「ガーベラ」です^^/ 向日葵でも良かったんですが…供花はシンプルがいいです! |
あれから8年・・・2013-01-20 Sun 01:41
今日、1月20日は日曜日。その日に家族そろって墓参り
に行ける。20日が平日なら、決まって前後多少ズレての お墓参りで、妻と母のところに逢いに行ってた。 でも、今年は妻の命日、その日に行ってあげられる。 あれから、丸8年…長かったような、短かったような…。 もし、生きていたら43歳かな。ちとおばちゃんになった 妻を見てみたいような、そうでないような…(@_@;) しかし、色々あったなぁ~小学1年生だった長男は 今年 高校受験やしなぁ~。長女は中1で部活や勉強も いまのところ真面目に頑張ってる。次男は相変わらず あまえたです。今年で小学5年になります。 ・・・と こんな風に色々と、妻に、母にも報告して こようと思っています。天気も幸い晴れのようやし、 気合いれて、顔晴ってきますぅ^^; どうか どうか、心あったかい 一日となりますように ![]() |
みんな笑顔に・・・2013-01-19 Sat 02:18
ちょっと前、Yahooで紹介されていた映像で~す。しっかり笑顔もらいました
![]() 日本にも、大人も子供もピュアな笑顔があるといいなぁ~ いつの時代にも ![]() では、その映像を ごゆっくり 満面の笑顔で!さて どうぞ!!! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 財政難で昨年から過去最高の失業率を記録しているスペイン。 そんなスペインの職業安定所で、ステキなサプライズが。 突然はじまった音楽演奏のフラッシュモブ。無表情だった人たちも、 みんな笑顔になりました。 ◇歌われたのは、ビートルズのこの曲◇ 続「Here Comes The Sun」 - 歌詞と日本語訳。やさしいThe Beatles入門 |
Twitterから・・・2013-01-18 Fri 03:50
仕事しながら、、、少しだけねヽ(^o^)丿 ↓
… … … … … … … … … … … … … 何気なくツイッターを眺めてた。そして見つけた。。。 長渕剛の次男くんがリツイートしていた。なんか。。。 いいね。。。やっぱり母は偉大ですね。ホント母は強し! ![]() ※ これです^^/ 3年間は凄いですっ!美味しかっただろうなぁ~ ![]() |
18年を迎えた・・・2013-01-17 Thu 05:46
1995年1月17日 午前5時46分。阪神淡路大震災が発生。
あれから18年。改めてお亡くなりになった方々のご冥福を お祈り致します。 あの日、揺れと当時に飛び起きた。建物は壊れると思った。 TVをすぐに付けても被害状況は不明だった。時間の経過と 共にそれは明らかになった。不安をかかえながらも、仕事へ と車を走らせた。ラジオからの余震情報と同時に車も揺れた。 昼飯時、TVから流れる女子アナの声。一緒に家屋も揺れた。 今でも地震が発生すると、過去のトラウマから武者震いする。 それから16年たった2011年3月11日 午後2時46分。東日本大震災。 更に地震の恐ろしさを知った。凄まじい大津波が東北を襲った。 あってはいけない原発事故が発生してしまった。レベル7だった。 今後も大規模な自然災害は、幾度も起こるだろう。しかし、、、 人為的な原因の災害は起こしてはならない。絶対に…。 南海トラフ巨大地震への対策。他にも沢山ある。まず生きていく ために、平時の今、一考することがどれほど大切だろう。 いざって時、国や政府、自治体は守ってくれない。自己防衛する しか手立てはない。そうして大事な家族を守るんだと感じます。 今日1.17は、お袋の誕生日でもあり、もし生きてたら何歳に なったんかなぁ~「お祖母ちゃんの母ちゃん」に会いたかった…。 お袋、どうか ずっとずっと、空から子供達を見守っていて下さい。 あと10年、、、一番下の坊主が独り立ちするまで頑張るさかいに! それまでは、死んでも死にきれへん。歯食いしばって生ききるしな! ・・・ ありがとう ・・・ 合掌。 ![]() ![]() ※絶対に忘れてはいけない、忘れない!1.17…。 |
今やれることは?・・・2013-01-16 Wed 02:11
福島県の浪江町に、大震災当時住んでおられた家族。
二本松に建てられた浪江町の町立診療所。そこには、 最新のエコー検査器が導入されていて、年一回だけ 無料で検査を受けられる。年一回だけ … … … 。 この写真をみて、なんとも思わないだろうか? こんなに幼い少女が、甲状腺検査を受けているところだ。 3.11以前、こんなシーンを日本で想像できただろうか? ・・・医師は、細かい診断結果を伝えるよう努力している というが、今いる大人たちは、何も、何もできないのか? 知らない所で、もっと過酷な出来事があると脳裏に浮かぶ。 だからこそ、何か出来ないかと思う。今しかない・・・。今。 今年の成人の日は14日だった。この幼き少女が成人した時、 過去を振り返り、原発の存在を許してきた今の大人たちに、 経済、経済、経済って人よりも優先に活動してきた大人に、 他人の不幸の上に、己の幸福を構築していった大人たちに、 何に涙し、何を思い、何を感じ、何を抱きしめ、生きるのか? この一瞬に、この写真の中にある真実の姿、意味は何なのか?! そんな気持ちが心を支配し、時間が通り過ぎた・・・。 ![]() ※NHK~。 |
ヨイトマケの唄・・・2013-01-15 Tue 01:01
|
いざって言うとき・・・2013-01-14 Mon 03:30
|
観てきた・・・2013-01-11 Fri 02:01
やっと観れた…映画「おだやかな日常」。。。
晩飯の用意をして、夕方からひとりで出かけた。 子供たちは、ちとの留守番。娘が卵焼きやウィンナー をおかずに追加、作ったみたい。長男は棒ラーメンとな…^^; 約2時間の上映。いろいろな気持ちが蘇った。 たった数分の大地震。しかし、あまりにも残酷な事象。 それは、ずっと続く。目に見えぬ放射性物質は、自分や 今の子供たちが死んでも残る。何万年も消えることなく。 いや何億年もだ。 昨年、再稼動した大飯原発。稼動はしてないものの、 日本には沢山の原子力発電所がある。政府は再稼動させる と言っている。もし、六ヶ所村や、原発銀座と呼ばれる 福井に林立する原発、事故があったら・・・。背筋が凍る。 この地球を何回も何回も破滅させることができるほどの 魔物だ。もんじゅを筆頭に地震大国の日本に存在してるんだ。 あと、ちょうど2ヶ月したら、3.11から丸2年経つ。自分の周りには、 危機感ある人は皆無に近い。マジ、本当にこれでいいんやろうかな? でも、駄目やな。自分の妹や弟を変えることが出来なかったし。 何度話してもアカンかったし。正直、凹んだ時もあった・・・。 でも、これから先も、俺は誰がなんと言おうと危機感だけは忘れまい。 毎日毎日意識しないと忘れてしまう。人間は忘れるのは得意やし、 いっつも楽しようとする生き物だから。自分に負けるな自分。 今夜、今年初のツイッターで呟いた。このBLOGも今年初かぁ! んで、映画館を出て買い物して帰った。食材の産地を全部確認して レジへ行ったのは、言うまでもないことね。帰宅後、子供の顔見て ホッとした。心配性も人一倍、何十倍治らないやっ!!!(@_@;) ![]() ※京都での上映は、明日いや今日 1.11がラストみたいですよ。 |
元旦・・・2013-01-01 Tue 00:00
|
| ホーム |
|