『命のLufran』

Single Fatherの気まぐれBLOG!

1.20 妻の命日・・・

平成17年1月20日午前4時14分、妻は息を引取った。
乳がん…全身に転移していた。享年35歳だった。

あれから丸10年が経った。小さかった子供も
随分大きくなった。当時、長男7歳、長女5歳
次男2歳だったから。そんな子供も長男が高校
でサッカー部キャプテン。長女は、高校受験。
次男は今春から晴れて中学1年生になる。

思い出したくもないが、妻が逝ってすぐ、葬儀の
打ち合わせ、打ち合わせ。悲しむ暇さえなかった。
子供達とも離れ離れ。何度も何度も親戚の方々や
友人との挨拶。知り合いに死亡の電話、お通夜、
葬儀等の告知。

そうこうしている間に、3日間が過ぎた。あれだけ
沢山いた人々が、一斉に帰路へ。この部屋には
自分と子供3人の4人だけになった。あまり覚えて
ないが、途方に暮れた記憶が少し…。炬燵で飴を
食べた記憶は鮮明に覚えてる。何故だか、底知れぬ
恐怖がおそいかかる。孤独さがせまってきた瞬間。
それ以外の感情はなかったように思える。

それからの1~2年は、我武者羅に生きていたと思う。
ただ、子供の為に。午後10時までは『かぁちゃん』。
午後10時以降が『とぉーちゃん』。ほっとする時間は
いつも深夜だった。朝まで自由な時間があった。今
でもその名残りはある。仕事の関係上いた仕方ないが
深夜はPCと睨めっこしている時間が多い。

朝になると、一睡もせずの状態で保育園に送っていた。
夕方、決まって午後5時にはお迎えに。そして晩飯を
つくる。風呂掃除に、買い物なんかと色々忙しかった。
自分で言うのも何なんですが、良く頑張ってたと思う。
当時は、精神的な苦痛が勝ってたけど、今は経済的な
事でどうやり繰りするか悩む。なんせ高校体育会系は
銭がかかり過ぎ。1回の遠征で5万円はかかるし、夏は
3~4回くらいあるから。ギター弾いてたオイラとは
大違い。毎月、きちんと積立せんと破産だ…。ホンマに。

…今まで、いつも心に誓っていたこと。まだ死ねない
ってこと。子供が成人するまでは…。
しかし、この10年 色々あったなぁ~。悔しくて、
悲しくて、ひとり泣いた日々もあった。泣くことで
フラットにして、また歯を食い縛って生きた。そんな
繰り返し。様々なシーン。思い出すとまた涙が出そう。
子供達が煙草を止めてって言うから5年前に止めれた。
本当に色々ありすぎた この10年だ!

…あと10年、まだ死ねない。何があっても生ききらな
いと。10年経てば、子供達ももう独立してこの家から
は旅立っているでしょう。きっと…。

これから先も、いろんな事が待ち受けていると思う。
でも負けたらアカン、そう関西魂で前進!!転んでも
転んでも、最後に立ち上がれば勝ち!絶対に負けへん。

どうか、天空高くから妻よ、子供達を見守っていて
下さい。いざって時は、子供の命を守って下さい。ただ
それだけお願いします。あとは全部 俺が責任もってやる
から、心配しないで。出来ることなら、一緒に孫の笑顔
みたいなぁ~。1つだけ願い叶うなら…。そう思った。

最後に、大切な子供3人を産んでくれて、ありがとう!!


心から感謝をこめて。2015年1月20日 10年という節目を
迎えた命日に。         とぉーちゃんよりm(_ _)m
            (墓前にガーベラの花を添えて…。)


カーベラ
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【あれから20年・・・】

忘れたらあかんよ、1.17。心配するまでもないが…。

そして、お袋の誕生日。もし、生きていたら72歳か。

53歳だったから、あれから19年か…。どうしてるんかな?

5分でいいから、逢いたいなぁ~。無言でいいから…。


2014117.png

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