『命のLufran』

Single Fatherの気まぐれBLOG!

冷蔵庫には腐ったケーキが・・・

2007年夏・・・実家の新聞が溜まってるから、お父さん大丈夫?と電話があった。

1996年に、母は肝臓癌で亡くなっていたから、親父は一人暮らしだった。

一緒に住もうと言ったけど、首を立てにふらない頑固な親父・・・。親父とオイラは

相性が最悪なのだったけど・・・。実家の近所のおばちゃんが電話くれた数週間前、

親父の古希祝いをしたばかり。その時は食欲も旺盛で、いつもの元気な親父だった。

そんな親父のもとへ車で1時間でかけつけた。不安は的中し倒れていた。餓死寸前。

たぶん倒れてから約1週間が経過していた。新聞の日付をたどれば・・・。

原因は脳内出血。幸い雨戸は閉めてあり、エアコンもついてた。真夏だったので、

これがなければ、たぶん死んでた。その後、死の淵を彷徨いながら、命だけは

とりとめた。右半身上下不随になったけれど・・・今は少し痴呆も進みながらも

特養老人ホームで元気に生きている。しかし、親父の生命力は凄いものがあった。


そんなオイラも今は、3人の子を持つ親父。あと数年もしたら、成人してオイラも一人になる。

母親は『愛情』を、父親は『英知』を教えるという。でも、こんなオイラでも愛情を3つの魂に

教えたいと思います。下記の話は実話。5年という歳月、一途な父親の思いに、心打たれます。

こんな親父になりたいと・・・。言葉なくても、優しさや愛情を伝えられる父になりたい!


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小学3年の時に両親が離婚し、何もわからず私は母親について行きました。
私は5人兄弟の末っ子で父は60前、母は50過ぎだったと思います。

子供だったので良く分かりませんでしたが、母が借金を作り、離婚後は
全て父親に残ったそうです。金額はわかりません。

家にあった家具は差し押さえで何もなくなっていました。

中学2年の時、兄から連絡がありました、父親が亡くなったと。別れて5年、
直接会ったのは2回だけでした。

何日か仕事に来ないからと職場の人が訪ねてくれたらしく死後数日経っての発見でした。

こたつで横になり、冷蔵庫には腐った果物とケーキ以外空に近かったそうです。

私の記憶にある限り父は大工でした。

その前は宝塚歌劇団の作曲家(助手だろね)だったと家族は云っています。
大工の給料で借金の返済もあり、酒好きだったが甘党ではない父がなぜケーキを?

葬式の時、発見者のおじさんから理由を聞いて死にたくなりました。
それは、いつ自分の子供が帰ってきてもおいしい物を食べさせてあげたかったから。

買っては腐らせ、買っては腐らせを5年間繰り返していた事実を聞きました。

再婚した父親には会うなと云われてたが、自転車で30分も走ればいつでも会える距離だった。
けれども会うのが怖かった。

母方についていった裏切り者を受け入れてくれるだろうか、面見せるなと罵倒されるのでは
ないだろうかと。すれ違いそうになった時気まずくて物陰に隠れた事もあった。

親心を理解できず、逃げる事しか考えていなかった自分が情けなかった、最低の人間だと思った。
けども腐ったケーキは無駄ではなく、こんな親不孝な息子に父は教えてくれました。

人間が持つべき「優しさ」と、親としての「愛情」の強さを。
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